blog3学ぶということは、過去を真似るということ。

学ぶということは、過去を真似るということです。良い意味でも、悪い意味でも。

大切なのはその事を認識しておくということです。

例えば体に染み付いて覚えているということがあります。

意識をせずにこなせてしまうこと。

例えば駅から自転車で家に帰る時、自転車に乗っている最中に考え事をします。

今晩のご飯は何かな?とか、昨日家族とケンカしたから、帰ったらものすごく怒っているかな?とか、走っている最中ズーと考え事をしているとします。しかし、気付いたら家に着いているわけです。

あの交差点を曲がって、次の角を更に曲がって等、全く意識をしなくても家に帰ることが出来てしまうのです。

これは凄いことなんです。

覚えてしまっていることは、そうそう消えないのです。

次に悪い例ですが、幼少の頃から教え込まれていること、例えばお花はキレイと習います。

すると大人になっても、花を見た瞬間にキレイと認識します。それ事態は悪いことではありません。しかしバラの花を見た瞬間、『あ、バラだ綺麗』と認識します。

当たり前のことです。

ここで大切なのは、それを当たり前と認識していることです。

実はバラを見ていて、本当のそこに咲いている花を見ていないということ。

刻々と変化している、なまめかしい生そのものを見ていないということになります。

バラと名前を付けて見ている自体、今の自分が見ているのでなく、知識を土台としている自分が勝手に解釈している訳です。

そう、無意識に。

だから、『見ていて見ていない』わけです。

そういうことで一切が無意識に行われているのです。

日々の生活の中で。

そうして、いつも自分が判断していて、自分の人生を歩んでいると思い込んでいます。

でも、その自分と思い込んでいる『自分』とは一体誰なのか?ということです。

そんなバカらしいことを考えたことも無いでしょうが、それを知ることは、あなたの人生に激変する程の事が起きてくるのです。

信じる信じないは関係なく、そういう原理で出来ているのです。

だから、『見ていて見ていない』『聞いていて、聞いていない』ということで、大半の人は自分と思い込んでいるのです。