blog5では、自分とは誰なのでしょうか?

ここでは、サラーっと流しておきます。

今まで書いてきたように、幼少の頃から色々と学んできて、より多くの知識を身に付けて、より多くのスキルを高めて、世間では競争をしているわけです。

しかし学ぶということは、イコール真似るということです。

あなたは自分が決断や判断をして、全て自分のことは自分がコントロールしていると信じて疑いません。

そうでしょうか?

あなたが自分と思い込んでいる自分は、知識の蓄積であって、知識を土台とした自分が判断しているのであって、それは知識の蓄積が判断や決断をしているのではないでしょうか?

 

あなたの意識はどこにへばり付いているのでしょうか?

 

朝起きて、なにもする前の布団に横たわっている瞬間のあなたは誰でしょうか?

布団から出た瞬間、あなたは今日はあれをして、これをしてと思考が勝手に頭の中でおしゃべりを始めます。

あなたの意識はどこにあるのでしょうか?

 

寝て起きるとき、あなたは『よし、起きるぞ』と決めて起きるでしょうか?

気が付いたら目覚めていたのではないでしょうか?

 

そんな不思議な出来事を毎日を過ごしているにもかかわらず、誰もそこを気にとめないのです。

ちょっと面白い話じゃないですか?

ここではこれくらいのさわりにしておきますが、あなたの人生の一切がそういう感覚で執り行われているのです。

そして、幸せだ、不幸だと泣いたり笑ったりしているのです。

blog4パパラギ

ここである本を紹介します。

『パパラギ』という本です。

今では新刊はありませんが、古本屋かAmazonで買えるので見てください。100円~500円位で買えます。

 

これを読むと、いかに自分が概念に囚われているかわかります。

 

これは実話です。簡単に説明すると、

 昔、南海の小さな島に全く文明を知らない民族が、原始的な生活をしていました。

そこにヨーロッパから宣教師達が来て、その島の首長をヨーロッパに連れていって文明を見せてあげるということになりました。

首長は初めて見る文明に驚きます。

鉄の塊である飛行機が空を飛んでいたり、煙を吐いて走る汽車は大勢の人を乗せています。

見るもの全てが驚きです。

そうして、島に戻って見てきたものを島の住人達に教える(伝える)ということをするまでの本です。

読み進めるとわかりますが、その表現は笑いながら読み進めていけます。

ところが読み終わると、その素直な心からくる言葉が頭から離れません。

想像では、彼はきっと羨ましがるのではないか?と思うでしょうが、全く別の視点から文明をみて、島の人達に伝えるのです。

パパラギとは彼らの言葉で白人のことを差しますが、文明人と捉えていいでしょう。

私が彼の言葉で強く印象に残っているのは、

『パパラギは考えるという重い病にかかっている』です。

 

ぜひ、読んでみてほしい一冊です。

 

すぐ読み終わってしまう本ですが、読み終わってから何年も考えさせられる本です。

 

blog3学ぶということは、過去を真似るということ。

学ぶということは、過去を真似るということです。良い意味でも、悪い意味でも。

大切なのはその事を認識しておくということです。

例えば体に染み付いて覚えているということがあります。

意識をせずにこなせてしまうこと。

例えば駅から自転車で家に帰る時、自転車に乗っている最中に考え事をします。

今晩のご飯は何かな?とか、昨日家族とケンカしたから、帰ったらものすごく怒っているかな?とか、走っている最中ズーと考え事をしているとします。しかし、気付いたら家に着いているわけです。

あの交差点を曲がって、次の角を更に曲がって等、全く意識をしなくても家に帰ることが出来てしまうのです。

これは凄いことなんです。

覚えてしまっていることは、そうそう消えないのです。

次に悪い例ですが、幼少の頃から教え込まれていること、例えばお花はキレイと習います。

すると大人になっても、花を見た瞬間にキレイと認識します。それ事態は悪いことではありません。しかしバラの花を見た瞬間、『あ、バラだ綺麗』と認識します。

当たり前のことです。

ここで大切なのは、それを当たり前と認識していることです。

実はバラを見ていて、本当のそこに咲いている花を見ていないということ。

刻々と変化している、なまめかしい生そのものを見ていないということになります。

バラと名前を付けて見ている自体、今の自分が見ているのでなく、知識を土台としている自分が勝手に解釈している訳です。

そう、無意識に。

だから、『見ていて見ていない』わけです。

そういうことで一切が無意識に行われているのです。

日々の生活の中で。

そうして、いつも自分が判断していて、自分の人生を歩んでいると思い込んでいます。

でも、その自分と思い込んでいる『自分』とは一体誰なのか?ということです。

そんなバカらしいことを考えたことも無いでしょうが、それを知ることは、あなたの人生に激変する程の事が起きてくるのです。

信じる信じないは関係なく、そういう原理で出来ているのです。

だから、『見ていて見ていない』『聞いていて、聞いていない』ということで、大半の人は自分と思い込んでいるのです。

 

blog2良いとか悪いは存在しない。

私たちは常に、判断や決断をして毎日を生きています。当たり前のことですが、その判断や決断をする際に、必ず『良いこと、悪いこと』という認識をしているわけです。

無意識にしている訳です。

しかし、『良いこと、悪いこと』というものはこの世の中に存在していません。

例えば雨か降るとある人は『最悪』と思うでしょう。でも農家からいうと恵みの雨だったりするのです。

同じ現象を目の当たりにしても、見る側の意識で良かったり、悪かったりしていることに気付かないとなりません。

そんなこと当たり前と思うかもしれませんが、この簡単な事実をみんな認めたくないが故に泣いたり笑ったりしているのです。

もっと分かりやすい例を挙げますが、これをひとつの話として簡単に表面だけ理解して通りすぎないで下さい。ここに真理があります。

 

私の知り合いの子供で、田舎の女子中学生が高校受験に頑張っていました。

ド田舎なので、高校は2つしかありません。

ひとつは進学校と言われる所で、大学を目指すならここに入らないと目指せないとされている学校です。

もうひとつはバカ学校と呼ばれている学校です。田舎なのでここを出たらほとんどが就職するという学校です。

彼女は進学をしたかったので、一生懸命受験勉強を頑張りましたが、わずかの差で落ちてしまいました。

この時、友達はみんな進学校に受かったのですが、彼女だけ落ちてしまったのです。

この時の彼女の気持ちは『最悪』でした。

彼女の立場になって考えてみてください。

仕方なく、高校に行かない訳にもいかないので、もうひとつの学校に行くしかなかったわけです。

ものすごく残念なことという認識のもとで3年間をそこで過ごしました。

ところが、わずかな差で落ちた彼女でしたので、そちらの学校ではいつも成績はトップクラスな訳です。

3年後大学受験をするときに、東京の立教大学の推薦枠の10人に簡単に選ばれました。

進学校に行った友達は競争相手がひしめき合っているなかで、推薦枠に入るだけでも過酷な競争をしいたげられていて、結果それほどいい大学に入ることが出来なかったのです。

この時は天にも昇る気持ちです。

苦労せずともそういう展開になったということは、宝くじにでも当たったようなものです。

 

ここで考えてほしいのです。

その時をその時間をぶちきって、そこの段階で見たら良いとか悪いが発生します。

しかし、時間は流れていて、繋がっているものですし、そこに意識をフォーカスすると、道を間違えてしまいます。

簡単な話ですが、まだ奥が深い内容が含まれていますので、順次おつたえしていきます。

 

おさらい、漠然とでいいので、知っておいて下さい。

世の中に『良いこと、悪いこと』はないのです。見る側の意識で、どうにでも動くのです。

blog1生きていくヒントを出し続けていきます。

現代は生きにくい時代に入っていると思います。イジメがあったり、就職ひとつ困難な時代です。あわよくば就職出来ても、会社そのものが昔と違い、血のかよった会社がなくなってきたように思います。会社の利益という大義名分で、すべてをお金という座標軸でバッタバッタと切り捨てられます。

つまり物と同じ扱いを受けている訳です。

一方、学校が崩壊しつつあるといいますが、すでに学校そのものの存在価値すら問われているのが現実です。

生活は働けど働けど楽にはならず、派遣という働き方がもはや普通という時代に突入しているわけです。

しかし、グローバル化が更に進むにつれ、もっと厳しくなってくると想像されます。

グローバル化とはそういうことを意味します。

そんな中で生きる知恵や、哲学、スピリチュアル的なこと、先人の知恵や、霊的な方面から救いの種をこのブログで蒔いておこうと思います。育てて収穫するも、枯らすもあなた次第ですが、何かのお役に立てたら嬉しく思います。